356eye

ポルシェ356の誕生

ポルシェ911シリーズは、発表されたのが1963年9月で、それから理想を目指して技術者たちは技術改良の努力を重ね続け50年以上の間、常に世界最高水準の高級スポーツカーとしてその座を保ち続けています。4半世紀以上の歴史のあるポルシェ911ですがこのポルシェ911は、1948年から製造開始されたポルシェのスポーツカーであるポルシェ356の後継車種として開発されました。ポルシェ356の開発から数えると更に長い間努力の歴史を重ねている事になります。そして、このポルシェ356が誕生していなければポルシェ911も誕生していなかったかもしれません。

1948年6月、オーストリア南部のケルンテン地方の景観の美しいグミュントにある小さな工場でポルシェ1号車が誕生しました。そして、この車こそ1931年の創業から他社の車両設計や開発を請け負っていたポルシェ社が世界で最高峰のスポーツカーメーカと発展していく第一歩となる自社生産の車です。1944年以降から第二次大戦の戦火を避けて本拠地のドイツ・シュトゥットガルトからグミュントに拠点を写していたポルシェ社は、創業者であるフェルディナント・ポルシェ博士と息子のフェリーが率いる小さなグループで、手叩きのアルミボディを載せた1号車を完成させ、その車をタイプ356と命名しました。続いて製作した一群の同様な軽量モデルをポルシェ・ワークスカーとして各地のレースに出場させ、製作した一部の車を腕の良いレーシングドライバーに売却しました。発足間もない小さな会社の知名度を高めるには、レースで好成績を収めるのが一番の方法だったのです。


Ferdinand Porsche

売れ行き好調なタイプ356

1950年、ポルシェはシュトゥットガルト市ツッフェンハウゼンの工場に移り、一般市場向けに356の生産を開始しました。356のタイプナンバーは同じでも、ツッフェンハウゼン製の車両は、ボディがアルミではなく鋼板に変更され、外形もグミュント時代のようにバラバラではなくほぼ統一されていました。規模は小さくても量産となれば信頼性が評価の分かれ道になるので、生産に先立って1台の試作車を2ヶ月間休みなく走らせて耐久性を確認したという話もあります。

初期の356は、独自のボディを使用し、エンジンは排気量をレースの1100ccクラスの枠内に収めるようボアが75mmから73.5mmに狭められ、直径の大きなバルブを斜めに配置したシリンダーヘッドとカムシャフトは新設計、キャブレターもツインのシングルチョークに変更していましたが、クランクシャフトやクランクシャフトベアリング、冷却ファンなどはVWの物をそのまま使用し、その他の機能部品もほとんどがVWのものでした。しかし、先に書いた点を変更したことで356のエンジン出力は40bhpとなり量産のVWを15bhpほど上回る事になりました。

こうして世に出たタイプ356の売れ行きは順調に伸びました。VWと契約を結び同社の大きな販売・サービス網を利用することが出来たことが成功につながったという考え方が一般的な意見にはなっていますが、356がVWの生みの親であるポルシェとその薫陶を受けた設計者達により生み出されたスポーツカーだったということからくる信頼感が大きく影響していたと思います。ポルシェ博士は天才的な自動車設計家として早くから、その名を世界で知られていましたし、車に関心のある人であれば戦前に設計したミドエンジンのアウトウニオン・グランプリカーと、その車に試みた斬新な技術を元にしてVWビートルを設計した事を知っていたのでしょう。

更に改良の努力を重ねる開発技術者

ツッフェンハウゼンの工場では356の生産が軌道に乗るかたわら、開発技術者たちは、更に改良の努力を重ねていました。エンジンの排気量は1100ccからすぐに1300cc、1500ccと増えていき最後には1600ccまで増えました。1952年末にはシンクロメッシュがなくてギヤチェンジが難しかったVWのギヤボックスに代えてポルシェ・シンクロメッシュが登場しました。ブレーキやステアリング、サスペンションの細かい改良が続いた後に1963年7月に発表された356Cで初めてディスクブレーキが導入され、同時期にシンクロメッシュにボーキング機構が追加されています。メカニズムの改良が一段落したことろで次は外形のデザインも改良が重ねられます。1953年にはV型ウィンドシールドがカーブドガラスに置き換えられ、1962年にはリヤウィンドーの面積が広がり、バンパーの形状にも変化が生まれてきました。しかし、当初から低い抵抗係数を実現していた空力的なボディ全体の形状は最後まで変わることはありませんでした。

基本のプッシュロッドモデルに混じって、DOHCのカレラエンジンを搭載した356も少数生産されました。もともとこのエンジンは、後の経営責任者になるエルンスト・フールマン博士がレース用に設計したものでVWの部品は一切使用していませんでした。このカレラエンジンは、356に搭載された1957年では1500ccでしたが1600ccに排気量が増え、さらに2000ccに切り替わり1963年まで生産されていました。

様々な改良が進み1960年も間近になると356のどこにVWの部品があるのかわからないほどになっていました。しかし、VW譲りの全体の寸法と配置はいかんともし難く、その影響で基本のプッシュロッドモデルでさえ時代遅れの感が強まっていきました。まして、高性能モデルへの風当たりは強く、例えばカレラの場合なら200km/hの最高速度は申し分ないのですが、高価な割にキャビンが窮屈で装備が貧弱だと指摘する声が高まりつつ有りました。1960年にデビューしたプッシュロッドモデルの中で最速を誇るスーパー90も、最高速度185km/h0-60mph11秒の性能が羨望の的になったものの他社の静粛で快適な高級乗用車に性能と操作性の面で大きな差をつけることが出来ませんでした。当時のポルシェは160km/h以上で長時間高速巡航をしているとエンジンが壊れてしまうことがあり、アウトバーンで手加減して走っていると、他社の下のクラスの車に追いつかれてしまうことも有りました。

こうした経緯により356に、いよいよモデルチェンジの時期がやってきます。そして遂にポルシェ911の開発へとつながっていくことになります。もしも、356の売れ行きが順調な時に改良の努力を行っていなかったら、もしも、356のモデルチェンジの際に方向性が違っていたら・・・。ポルシェ911の歴史は変わっていたかもしれません。

更新日: 2016年7月13日 投稿者: UNTAMED スタッフ

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