911の前身モデル、タイプ7

1948年に登場したポルシェ356は、1950年から一般市場に向けて約15年の間、生産されてきました。度重なる改良を重ね続けてきた356ですが、様々な経緯によりモデルチェンジの時期がやってきます。そしてその後継車として登場するのがポルシェ911になります。しかし、このポルシェ911が登場するまでにも多くの試行錯誤が繰り返されることになります。

後の911へと成長していくモデル「タイプ7」

ポルシェ356のモデルチェンジの時期が近づいてきたことは明白でありながら、ポルシェ社内では、誰も進むべき方向を見いだせていませんでした。それでも室内スペースと乗り心地の問題を両方同時に解決するにはホイールベースの延長が必要不可欠になっている事は分かっていたので、その方向でフェリー・ポルシェの息子ブッツィ(フェルナンド・アレクサンダー・ポルシェ)がスタイリングデザインを任されることになりました。このブッツィが制作した原型モデルが後の911へと成長していくモデルで「タイプ7」と呼ばれました。このタイプ7の外見は、現在の911の特徴を殆ど完全に備えていました。一方、スタイリングと平行して古参のボディエンジニアであるエルヴィン・コメンダがボディの構造設計を進めていて試作車が次々と誕生していきました。

この段階では、外形と住居性の確認がメインだったため、試作車のリヤサスペンションは356のスイングアクスルをそのまま使用し、フロントだけが356のツイントレーリングリンクから新設計のトーションバーによるストラットに変更されました。1934年のアウトウニオン・グランプリカー以来ポルシェが設計した車は、一貫してフロントに横置きトーションバー(上下2本)によるトレーリングリンクを採用していたので、これはちょっとした革命でした。この変更に踏み切ったのは356の狭くて評判の悪いトランクルームを改善したいという考えからで、マクファーソンにすればトーションバーを前後に通すことができ、ストラットもダンパーだけで細いのでトランクの邪魔にならないものでした。マクファーソンにはその他にもサスペンション・ジオメトリーの自由度が増える利点もありました。それはつまり、車輪の上下動に伴うキャンバー角の変化を設計者がある程度自由に選ぶことが出来ることになります。

すこし話がそれますが、901の開発中にポルシェがワークスレーシングカーのフロントサスペンションをトレーリングリンクからウィッシュボーンアーム式に改造したという記録が残っているそうです。これは、おそらくマクファーソンがハンドリングにどう影響を与えるかレース用の車両で確認しようとしたのでしょう。

将来を考えて最初から大きめに作っておくべき

タイプ7のプロトタイプは4台(3台という説もあります)完成しました。しかし、1台毎にブッツィのデザインから離れていき、外形寸法も少しずつ大きくなっていきました。これはコメンダの「人類は世代を追って徐々に体格が向上するから、自動車も将来を考えて最初から大きめに作っておくべき」とうい考えが実行された結果になっていると言われています。コメンダの試作車は、最後に完全な4シーターに行き着きました。新設計のエンジンを搭載し一応ポルシェらしくきびきびと走りました。ちなみにこのエンジンは2000ccのプッシュロッド6気筒で、VWエンジンから発展した356の4気筒に、2気筒追加しただけのものでした。

このエンジンを設計したクラウス・フォン・リュックカートは、他にも積極的に性能向上を図った案をいくつか進めていました。計画図の段階で打ち切られたものもありますが、クランクシャフトの上下に各1本のカムシャフトをを配し、ブッシュロッドとロッカーアームによりV型配置のバルブを動かすエンジンは、実際に試作しベンチテストまで行われました。この試作エンジンは、ドライサンプ方式をとり2個の小型軸流ファンによる空冷で80×66mmのボア・ストローク寸法は、のちの901型量産エンジンにそのまま引き継がれることになります。

将来ボアを84mmと89mmに広げて排気量を2200ccと2500ccに増やせるように配慮されていましたが、この2段階ボアアップの考え方も、後に911の量産エンジン(84mm)とレース用エンジン(89mm)で日の目を見ることになります。全体的によく考えられた設計でしたが、バルブ駆動系が発散する騒音、アルミヘッドのはるか頂上にロッカーアームビンを固定する事の難しさ、場所をとるタイミングギヤ、サイドドラフトキャブレターの採用による極端に広い全幅、全体的な嵩張り方などが原因となり量産されることはありませんでした。

新型車が満たすべき技術要件

このような経緯を経てポルシェ911の開発が開始されていきます。しかし、コメンダが進めた4シーターはポルシェ上層部の賛同を得ることが出来ず、再び暗礁に乗り上げてしまいました。コメンダは4シーターこそ正しい選択と主張して譲りませんでしたがポルシェはブッツィのデザインした通りの試作車をロイター社に発注することになりました。こうして基本的な方向性が定まり、新型車が満たすべき技術要件の輪郭が明確になります。

ブッツィのデザインではなく、コメンだが進めた試作車が採用されていたら現在の911シリーズは、今とは全く異なる車になっていたでしょう。フェリー・ポルシェは、のちのインタビューで「私の息子がデザインしたタイプ7は元から2+2で、結局それが正しい答えだと皆が認めるようになりました。すでに4シーターのプロトタイプが完成していましたが、4シーターでは356と違う顧客を相手にすることになると気が付いたのです。メルセデスと真っ向から勝負するような真似は、避けるべきでした。」と話していたようです。

更新日: 2016年7月14日 投稿者: スタッフ

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