メルセデスベンツAMGのワンマン・ワンエンジン
メルセデスベンツAMG技術者の名前が刻まれたプレート
メルセデスベンツの高性能車、チューニング部門になるAMG。そしてその心臓部にあたるエンジンは本当に素晴らしい性能を発揮します。実は、そのエンジン一つ一つは、1人のメルセデスベンツ技術者の手作業により組み付けられています。
メルセデスベンツAMGのエンジンが最高の性能を発揮するには、マイスターによる熟練の手作業が不可欠となるという考えが「ワンマン・ワンエンジン」と呼ばれ、その考えに基づいて一人の熟練メルセデスベンツマイスターが1基のエンジンを丁寧に手作業で組み上げ、その証としてエンジンには技術者の名前が刻まれたプレートが誇らしく掲げます。このプレートこそが高品質のエンジンの証であり、技術者の誇りと言えるのでしょう。
アッセンブリーでの作業が中心となる一般的な工場とは全く異なる作業となり、生産される台数はかなり少ないものになってしまいますが、機械的な量産では生じ得る誤差による当たり外れのような要素は、メルセデスAMGのファクトリーにおいて徹底的に排除されます。それこそが高性能と高品質を提供する事へのこだわりが現れた姿であり、そのこだわりがあるからこそ非常に高価な製品にもユーザーが納得するのでしょう。
加工などを必要としない精度で製造される全てのパーツ
ドイツのアファルターバッハにあるメルセデスベンツAMG工場では、工場と言っても基本的に組み付け作業を行うだけで部品加工などは行われていません。これは全てのパーツが組み付けの工程で加工などを必要としない精度で製造されているからです。この精度の高さだけでも非常に素晴らしい事なのですが、それでもなお、実際の組み付けによってはエンジンのパワーや表情などが変わってくるという事でメルセデスベンツAMG技術者は皆、気を抜くことなく実に真剣に組み付け作業を行っています。私自身も非常に神経を尖らせる作業となる事を実感していますので非常に共感しています。
確かに、生産ラインを流れてくる機械に、流れ作業で人間やロボットが部品を組み付けて行くというのは量産品を作る上では効率的であり重要な事になると思います。しかし、高品質なメルセデスベンツAMG製品を作り上げるには、この手作業がもっとも効率的であるという考えを貫き、実際に実践してみせるところが本当に素晴らしいことです。
また、エンジン工場の隣には世界中のユーザーからのスペシャルオーダーを手掛ける部門があり、世界中の顧客に徹底的に向き合っています。メルセデスAMGの魅力は、高性能な車のパフォーマンスのみではなく最先端の技術と技術者の意識の高さとが合わさった徹底的な作り込みと、あらゆるユーザーと徹底的に向き合う姿勢から生まれてくるのでしょう。
以下のサイトでは、熟練メルセデスベンツマイスターのMichael Küblerの記事を見ることが出来ます。
Real passion: Mercedes-AMG and Michael Kübler. – Mercedes-Benz
AMG 40年の歴史
1959年:ハンス・ウェルナー・アウレヒトがダイムラー・ベンツの試験部門に入社。
1967年:ダイムラー・ベンツからアウレヒトが独立し、エルハルト・メルヒャーと共にブルグスタルにあった小さい工場でAMG社を創業。
1971年:ハンス・ホイヤーとクレメンス・シッケンタンツが駆るAMG 300SEL 6.8が、スパ・フランコルシャン24時間耐久レースに初参戦して総合2位という快挙を成し遂げる。
1976年:ブルグスタルから、現在本社が置かれるアファルターバッハに移転。
1978年:ヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)で450SLCが大活躍。このころからヨーロッパ以外の世界中に顧客を持つようになる。
1985年:業績が好調で第2プラント操業を開始。
1987年:フランクフルト・モーターショーで、V8エンジンを搭載したEクラス(W124)ベースのモデルと500Eを発表する。メルセデス・ベンツとの提携が模索される。AMGの従業員数が100名に達する。
1988年:ツーリングカーレースの最高峰ドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)にメルセデス・ベンツのパートナーとして参戦。
1989年:メルセデス・ベンツ190E2.5-16エボリューションが発表。第3プラントを増設。従業員数も200名に急増する。大活躍し、7勝を飾る。
1990年:レースでのパートナーシップから発展し、メルセデス・ベンツと正式に業務提携を結ぶ。従業員数は400名に達する。
1991年:フランクフルト・モーターショーで、AMGがチューニングとモディファイを行ったモデルが、メルセデスと並んで展示される。
1992年:AMGメルセデス190E2.5-16エボリューションIIが、DTMで総合優勝の快挙を成し遂げる。
1993年:メルセデス・ベンツCクラスの発表と同時にAMGデザインのエクステリアパーツおよび独自のアルミホイールがリリース。また、フランクフルト・モーターショーでは、メルセデスと初の共同開発車両となるAMGメルセデス C36を発表し、大きな反響をおよぼす。そして、AMGの知名度が高まったことから、ドイツ特許庁が「AMG」を登録商標として認める。
1994年:C36が大ヒットを博す。年間の生産予定も600台から1100台へ大幅に上方修正される。メルセデス・ベンツと共同開発したCクラスのレーシングマシンがDTMにデビューし、いきなり年間王座に輝く。
1995年:ベルント・シュナイダーによって3度目のDTMチャンピオンとなる。
1997年:「C36」の生産台数(1993-96)が5000台、「E50」の生産台数(1996-97)が3000台に達する。
1998年:クラウス・ルドヴィックとリカルド・ゾンタ操るCLK-GTRがFIA-GT選手権で全11戦を勝ち、完全優勝を成し遂げる。
2001年:1999年、2000年と好調な販売/生産を見せたAMGは、この年、1万8700台の生産台数記録を達成する。
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